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サイバーエッセイ 第2回

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今回からシリーズで「方法論の国へから多様な技術の世界へ」をお送りしたいと思います。まず、私と方法論との出会いについて、述べておきましょう。

方法論(メソドロジー)の最先端の国へ

1985年7月30日、成田発アンカレッジ経由ロンドン行き―JAL423便は、定刻よりも30分早くロンドンヒースロー空港へ到着しました。これからの半年間、会社からの使命で、最先端といわれるシステム化方法論の評価と日本への導入という仕事が待っています。それにしても、英国と日本のカルチャーギャップを越えた仕事を、どのようにこなせばよいのだろう。そのとき私は、大きな期待と小さな不安とを感じながら空港に降り立ちました。

入国カウンターの長い行列を通り過ぎたところで、BIS社のジョン・モフィット氏は待っていました。映画に出てくる、髭面の博士のような顔をしたおじさんです。英国流の正式の挨拶や初対面での対応方法を知らない私は、「この偉そうな人とつき合うはめになってしまった。これはえらいことになったな」と逃げ出したい気持ちになりましたが、気をとり直して、「まあ、なるようになるさ。どうって事はないさ。」少々不安ではありましたが、「ここでなめられたらアカン今後やりにくくなるぞ。とにかく、余裕の表情で対処しよう。」 と考えました。

こんな調子で私の方法論への挑戦は始まったのです。「ようこそ英国へ。はじめまして、私がBIS社のジョン・モフィットです。お疲れではありませんか。とにかくホテルまでお連れしましょう」「はじめまして、林です。彼は、同僚の山下君です。どうぞよろしく」「私は、日本の方と仕事をしなければいけない立場になって少々緊張しております。お話しなければならないことがたくさんあります」(モフィット氏)「私も、これから6カ月間のあいだに、やるべきことがたくさんありますし、英国について、方法論について、情報技術について学びたいことがあります。いろいろ、教えてください」(私) (蛇足ですが、モフィット氏は、私達以上に小心者で、私達の担当を命じられ相当気を病んでいたようです。細かい事までよく気遣ってくれました。)

翌日からは、滞在期間中のすべての計画作りとエグゼクティブへの挨拶が始まりました。今振り返ってみると、本当に、緊張からの出発であったと思います。このような形で、私の、英国でのMODUS方法論(80年代、このBIS社のDOA方法論は、世界で最も進んでいる方法論の一つでした。ちょうど同じ時期にジェームス・マーチンが開発した手法も実用化を開始しています。)の仕事は始まったのです。

人間というものは、先に見えない事がたくさんあり、次の事の予測ができないとストレスが溜まり疲れるものです。ところが、滞在を重ねていくうちに徐々にいろんなものが見えてくるようになりました。そしてその結果、日本でやっている事とあまり替わらないという事が、分かってきたのです。分かってくると、次に開拓や探求が始まります。活動計画を早めに作成していたのが、良かったことでもありました。こうして、1、2か月たってしまうと、私と同僚は、英国での生活をそれなりに理解しエンジョイできるようになっていました。

私のもう一つの海外経験

私は、英国へ来る前にも、海外での生活や出張の経験がありました。学生時代には、アメリカ・イリノイ州のTiskilwa(ティスコワ)という名の田舎町に、半年間ホームステイをして過ごしました。ティスコワは人口3000人足らずの町で、ベストセラーの小説「マディソン郡の橋」に出てくるような本格的な田舎です。私は小説は読んでいませんが、クリント・イーストウッドとメリル・ストリープが好演している映画を海外出張の飛行機の中で見ました。本当に、映画に出てくる 〝あの橋〟そっくりなのがあります。この町で、私は、外国人と仲良くする方法を身に着けることができましたし、同じような外国人の顔の見分け方までも身に着けることができたのです。ワシントン、ニューヨークやシリコンバレーも本当のアメリカですが、ティスコアもまた、本物のアメリカだと私は思います。しかし、残念な事に、英語は全く上達しませんでした。

システムエンジニアになってからも、アメリカのナショナル・コンピュータ・コンファレンス(NCC)への参加と先端企業七社への調査団に派遣されたり、ひとりで香港へ銀行の海外店向けのアプリケーション・パッケージのインストールをするために出かけたりしました。

そんな私でも、英国流のテンポや生活感は、私がそれまでに経験したものとは、異質なものでありましたし、今までの海外とは違う〝文化から来る大きな何か〟を感じたのです。

英国駐在員の支援

英国での生活を、公私ともにいろいろな面から支援してくれたのが、当時の英国に駐在していた同僚達でした。所長であったKさんには、英国のナイトライフや日本人の家族の暮らしぶりについていろいろ教えてもらいました。また、ゴルフを始めるきっかけを作っていただいた(ゴルフは、いまだにダメです。原因は分かっています)。このKさんは、実に日本的な考え方の持ち主です。日本的なマネージメントを重要視して、日系の顧客を大切にしていました。

また、O君には、ロンドンの歩き方やヨーロッパ・アフリカでの生き抜き方を教わることができました。特に、サファリラリーの見物方法については、貴重な知識を得ることができました。O君は山男で、アンデスの5000メートルの壁でビバークした経験もあり、本当に野生的で、粘り強い性格の持ち主です。彼の、山に裏付けられた視点で見た英国、ヨーロッパ感覚は、私の英国に対する考え方に少なからず影響を与えています。

Mさんは、長い海外での生活経験を持った優秀な女性で、私に、英語の話し方と女性の目から見た英国(英国人のことと英国での習慣)について教えてくれました。Mさんは、いわゆる帰国子女です。彼女は、確か中学生の頃までをハワイで過ごしています。小中学の成長期を欧米で過ごした経験を持った人は、どこかが、日本のみで育った人と違います。例えば、義理人情や演歌の心といった、日本人でも説明に困るような本当に微妙な感覚的なものは、長く欧米の文化の中で過ごした人達には分かりにくいことなのです。しかし、Mさんは、欧米の考え方については、肌で(皮膚感覚で)分かっています。若いときの経験や体験が、その人の考え方や行動に大きな影響を及ぼすことがよく分かりました。

当時、国際部のまとめ役だったY氏からは、海外でのビジネスの進め方や交渉方法などを懇切丁寧に指導していただきました。Y氏の英語の実力は、私がこれまでに会った日本人の中で際立ったものがあり、特に、海外の会社との契約の進め方やお付き合いの方法を、OJTで研修させていただいたと考えています。Y氏は、実は根っからの九州男児で、義理人情を重んじる典型的な(いや古典的)な〝日本の男〟です。人並みはずれた国際感覚と古典的日本男性という対称が、妙にバランスしている素敵な人です。

このように、多くの活力があり、夢がある若い人達がいたからこそ、私は、短期間に英国での生活のポイントをつかみ、楽しく方法論ビジネスを立ち上げることができたのです。本当に、人は、財産であると思っています。

次回は、英国でのコンサルティング活動に関する経験について、述べようと思います。

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林衛
IT戦略とプロジェクトマネジメントを中核にITビジネスのコンサルティングを行うアイ・ティ・イノベーションのファウンダーであり社長を務める。◆コンサルの実践を積みながら英米のIT企業とかかわる中で先端的な方法論と技術を学び、コンサルティング力に磨きをかけてきた。技術にも人間にも精通するPM界のグランドマスター的存在。◆Modusアカデミー講師。ドラッカー学会会員、名古屋工業大学・東京工業大学などの大学の講師を勤める。

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