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白石 俊介さん(1) 三菱電機株式会社 神戸製作所/湘南 社会システム第一部 次長

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白石 俊介さん白石 俊介(しらいし しゅんすけ)さん
三菱電機株式会社 神戸製作所/湘南
社会システム第一部 次長
約7000KSTEPのJAVAオブジェクト指向開発プロ ジェクトを成功に導いたスーパー・プロマネ。
1959年生まれ。電気通信大学大学院(情報数理工学)修了。1985年に三菱電機株式会社入社。

巨大プロジェクトをマネジメント、「できるプロマネ」ができるまで

白石俊介さん

能登原
最初にお会いしたのは、白石さんがあるお客さまの約7000KSTEPのJAVAオブジェクト指向開発プロジェクトを担当することになったときですね。

白石
その準備期間が始まったのが、2000年の1月ぐらいでした。

能登原
アイ・ティ・イノベーション(以下ITI)が三菱電機さんからの依頼でプロジェクト管理を支援することになりました。私がITIに入社して最初にアサインされた仕事がこれです。入社の翌週あたりから大規模プロジェクトのためのプロジェクト管理ハンドブック作成の打ち合わせに毎週お邪魔しました。でも白石さんはハンドブックのころは主ではやっていませんでしたね。

白石
能登原さんが入ったときには、システム自体ERPパッケージを採用する・しないという話があって、私のビジネス予想とずれてしまったので、いったん抜けさせてもらってERPの戦場のほうに行っていました。

能登原
本格的に始まったのは2001年7月でしたね。

白石
そうです。それまでの1年間は私たちのグループに対するプロジェクトマネジメントをやってもらって、次にお客さまのバックエンド系システム全体のPMOに私が推薦して、全体のプロマネ支援をやってもらうことになりました。

能登原
そのシステムは2年半のプロジェクトで、大規模プロジェクトに使う標準をお客さまと一緒に作る過程に参加しました。白石さんは私を成長させてくれたお客さまです。今回は白石さんのご経歴をうかがいながら、どのように巨大プロジェクトを遂行できる今の白石さんになったかということを振り返っていきたいと思います。

白石
じゃあ、ざっと経歴を説明します。1985年に入社して19年間、一貫して同じお客さまの仕事をしています。最初の2年は営業配電オンラインといってホストのダム端末のエミュレータというソフトを改造開発する開発者として仕事をしました。昭和61年頃業務機械化ブームがあり、予算で携帯端末や無線を使った現場の業務効率化の研究をちょこちょこやっていました。88年から90年には、能登原さんに出会うきっかけとなったバックエンド系システム開発をやってます。

能登原
このときが最初のシステム構築だったんですね。

白石
そうです。能登原さんとの時は再構築です。このときはホストがあって、オフコンがサーバ、OS/2端末で、クライアントサーバシステムのちょうどはしりとなるようなシステムです。社員だけでハードも全部作りました。このころはオープン化という概念はなくて、自社のプロプライアテリ(proprietary)で、工場をあげて作りました。三菱電機の鎌倉のコンピュータ部門の大半はかかわっています。ところがこれが、理想的なシステムであったがゆえに性能がぜんぜん出なくて(笑)、一年間運転開始を延期しています。これが私の最初の挫折でした。

能登原
なるほど。

白石
特に、運用開始延期が決まる半年前にはほとんど徹夜状態。たいへんな日々を送りました。ここでは最初から参画して、当時「手作業でやっていたことをそのまま機械化したい」ということで2000業務くらいあるのを、どうやって標準化、共通化するかという、プログラムに行く前の設計段階のものを作ったり、プログラムを簡単にするために簡易言語で共通化を図って、決められた設計書を書くとおのずからできてくるようにして数をさばく、そういうことの対応をやっていました。

能登原
それは白石さんの役割だったんですか?

白石
最初は業務単位で作っていったんですよ。2000本の一本目を。これがとんでもなくて半年くらいかかる(笑)。どういうものをどういう順番で開発したらいいのか開発方法論を一から作り、手で作っていると時間がかかるんで定義を書けば出てくるようにしたい。たまたま言語自体が簡易言語で、構造的にテキストファイルをうまく作っていけばいいわけです。構造を隠してスケルトンみたいにしたものにはめていくような感じに設計し、研究所の方にツールを作ってもらいました。作ったあとはうまくいきました。

能登原
それはすばらしい(笑)

白石
そのあとはバックエンド系システムの反省みたいな形で、どういうものがユーザーに喜ばれるのかユーザーインターフェースの研究をしました。実はこのシステムには三菱のほかにもう一社のクライアントサーバがあって、クライアントサーバが2種類あったんです。お客さまがアプリケーション開発のときに非常に苦労されて「統合化したい」ということになりました。三菱ともう一社が一緒になって、研究していました。何年か経つとハードが経年変化しますし、もともとクライアントサーバの端末側のCPU性能やメモリが足りないということがわかったのでリプレースしました。それからネットワーク関係の障害が起き、ネットワーク監視システムのいろいろな研究をしました。

96年からはオープン化開発です。お客さまが「もう三菱の端末もサーバも嫌だ、HPかSUNにしたい」と(笑)。うちはHPをOEMしていたので、他社とも競争をしましたが運用管理と信頼性でHPに決まりました。最初はプロプライアテリなシステムにHPで別のシステムをポコッとつけて連携し端末は共有するようなところから入って、OS/2のWindows互換ボックスでVBを動かして初めてのオラクルデータベースを作りました。

それからバックエンド系インフラシステム全部を替えました。お客さまのインフラは、ある部門用のがぽこぽこ立つんではなくて、全体のバックエンドインフラがあってその上に載せていくという形になっているんですよ。

能登原
非常にインフラの構築が戦略的ですよね。

白石
インフラ部分を全部オープン化するという作業にも参加させていただきPMOみたいなことをやりました。次はJAVAで開発するということで、クライアントサーバのJAVAやWebのJAVAを比較検討すると同時にネットワーク監視関係の検討結果が、当時情報処理学会の優秀賞とか奨励賞とか取ったと思います。それは私でなく部下なんですけど(笑)

最初の挫折の反省から、リプレースは用意周到に

白石俊介さん

白石
能登原さんに加わってもらったのは、そのシステムの全体リプレースです。99年からインフラを全部替え、大きなシステムを載せ替えました。まずお客さまの方から「外のクライアントサーバの開発方法論を勉強しろ」といってくれて、2社に教えてもらっていいとこ取りする形で開発方法論を作りました。

そのあとに「次はプロジェクト管理だ!」と思ったんですよ。やり方は決めたからあとはマネジメントしなければいけないと。私の友達の業界紙関係の人間に「できるプロジェクト管理の会社を紹介してくれないか」と、林さんを紹介していただいた。会いに行って「まず我々自身のためのプロジェクト管理ハンドブックをつくりたいので、ご支援がほしい」といったら「あるよ」っていわれて(笑)、それをリファレンスしながらお互いに話し合って作りました。

システムの本番開発する前に、標準化事項などを決めるプロジェクトを一年間起こしてもらったんで、そのプロジェクトを例にプロジェクト計画書を書いたり進捗をやろうと。その毎週の打ち合わせに能登原さんが入って、プロジェクトの日々の進め方を教えていただきながらずっとやっていった。実際にそのシステムが始まる段階では、複数の会社から一時期1000人くらいの人間が集まることが予想され、全体のプロジェクト管理をしてほしいと能登原さんを推薦してPMOを作って入ってもらったんです。

能登原
進捗管理とか品質管理、リスク管理のガイドラインを作って、一応それをそのまま使ってお客さまのシステムに適用しました。白石さんたちはJAVAのフレームワークも事前開発している。ですからプロジェクト管理とJAVAのフレームワークの二本柱でつくったわけです。

白石
お客さま用の共通化や標準化を入れて3階層くらいで作りました。

能登原
私が見ていても非常に戦略的なのは、インフラもHP製品で導入して、それを制御する認証系の仕組みを三菱さんが開発し、その上のアプリケーションを開発するときに用意周到にシステム開発論を作られて、それから開発の生産性を上げるためにJAVAのフレームワークも事前に開発されている。やり方も決めている。このプロジェクトがうまくいったのは白石さん以下三菱の方々が非常に周到な用意をきちんとされたからです。お客さまも非常によかったのでしょうね。

白石
全体的をきちんとコントロールしていかなければならないですが、その役割のお客さまがしっかりしていて厳しかった。これは大切なことです。コストも厳しかったですが、もっといろいろなことをやっておかなければいけなかったし。それはまたあとで話が出ると思いますけれど。

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能登原 伸二
■株式会社アイ・ティ・イノベーション 取締役 兼 専務執行役員 ■株式会社ジャパンエナジーの情報システム部門において、長年、情報システムの企画、開発、運用までの幅広い業務に携わり、ITによる業務改革、収益向上を支援してきた。また、その実務を経験する中で、システム開発における開発方法面の必要性を認識し、C/S向け開発方法論の制定、導入を推進。常に顧客と共に考え、行動し、成果を上げることをモットーとしている。

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