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《04》 プネから始まったインド人MIT留学130年史

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[執筆:田中 静]

前回の本コラムでは、インドに進出したグローバル企業のR&D人材力で、ベンガルールとプネがデリー首都圏以上だと指摘しましたが、実はこれには長い歴史の裏付けがありそうです。

The Technological Indian -Mar2016というのも今年2月、ノースカロライナ州立大学のロス・バセット(Ross Bassett)助教授(歴史学)が上梓した『The Technological Indian』(ハーバード大学出版局2016年2月15日刊)が、目下インドのメディアで話題となっていて、同書によれば、インド人初のMIT(マサチューセッツ工科大学)留学生は、なんとプネ出身の若者だったことがわかったからです。

◆1882年、インドとMITの遭遇はプネ出身の留学生から始まった

ノーベル賞受賞者が80名超を数える全米屈指の名門工科大学MITは、1865年に設置開校されました。西のシリコンバレーの双璧を成す東のハイテク産業集積地、ボストン近郊に位置する同大学に、初めてインドからの留学生が入学したのは1882年。その留学生がケシャブ・マルハル・バット(Keshav Malhar Bhat)というプネ出身の若者でした。

しかし、彼に次ぐインド人留学生の在籍記録は20年を経た1900年代にならないと見当たらない。その理由は定かではありませんが、当時のインドは英国領。優秀なインド人学生の留学先は、もっぱら宗主国である大英帝国の名門二校のオックスブリッジが主流だったからなのかもしれません。

◆マハトマ・ガンディーの対英独立運動に参画したMIT出身者

『The Technological Indian』は、著者のバセット氏が1880年代から2000年までのMITの留学生名簿から、850人余のインド系留学生の履歴を拾い上げ、その後の彼らの足跡を13年間かけて丹念に調査検証した労作です。同書によれば、20世紀初頭にMITに留学したインド人の中には、ムンバイ、グジャラート、プネなどの西インド出身者が多かったそうです。しかも彼らのほとんどは卒業後インドに戻り、工学、ビジネス、政治、芸術など様々な分野で祖国独立に寄与していました。

例えば1920年代末から1940年代初頭、MIT留学生の中にもマハトマ・ガンディーと共に対英独立運動に身を投じた若者がいました。その代表的な人物がトリカマル・シャー(Trikamal Shah)で、彼は1926年にMITに入学し、電気工学を学んでいます。しかし、インドに戻った後は、英国排斥運動「Quit India」のリーダー格となり、1942年にはタタ製鉄でストライキ首謀者として18ヶ月間、投獄されました。ガンディーと共に「塩の行進」に同行したカカ・カレカル(Kaka Kalekar)の息子、バル・カレカル(Bal Kalekar)もMITの卒業生でした。第二次大戦の最中には、ムンバイにアメリカンライブラリーが設立され、この頃からインドで米国との文化学術交流が始まったともいえます。

◆MIT人脈が鍵を握ったTCS、インフォシスの大躍進

工学をめぐる米印学研交流の花が開くのは、インドが独立を果たした戦後に入ってからです。とりわけ1949年に、ネルー首相がMITを始めとする米大学を訪問した後、IIT(インド工科大学)の設立が動き出した1960年代から、インドでは英国から米国への留学先のシフト転換が始まりました。そして、この頃から現在のインド産業成長に寄与するMIT人脈の技術者、起業家たちが台頭していきます。

例えばインドITの最大手、タタ・コンサルタンシー・サービシズ(TCS)を立ち上げた人物で「インド・コンピュータ産業の父」とも呼ばれるF.C.コーリ(F.C.Kohli)は、MITの卒業生です。彼はタタに入社後、数人のMIT出身者と共に1969年、ムンバイでTCSを立ち上げました。さらにそこから独立し、1975年ムンバイにデータマティックス(Datamatics)を立ち上げたMIT出身者が、ラリット・カノディア(Lalit.S.Kanodia)でした。データマティックスは、いち早く米国とのオフショアリングサービスを手掛けた会社として有名です。

ベンガルール拠点のインフォシスも、その創業者たちのキャリア・ルーツは、MIT出身者のナレンドラ・パトニ(Narendra Patni)がムンバイ、プネに設立したパトニ・コンピュータ・システムズ(Patni Computer Systems)が源流です。7人のインフォシス創業メンバーは、いずれも70年代末、プネにあったパトニの技術者でした。その後、独立・起業するために、わずか250ドルの資金を元手に、1981年ベンガルールでインフォシスをスタートアップしたわけです。

◆プネの産業クラスター化に寄与したキルロスカのMIT人脈

ITのみならず、インドの財閥グループの幹部にも少なからずMIT出身者がいます。ゴドレジ・グループのアディ・ゴドレジ(Adi Godrej)もビルラ・ファミリーのアディティヤ・ビルラ(Aditya Birla)もそうです。

そしてプネの発展に寄与したMIT人脈としては、S.L.キルロスカ(Shantanurao Laxmanrao Kirloskar)があげられます。同氏は第二次大戦前のMITの卒業生で、プネの老舗財閥だったキルロスカグループのエンジニアリング事業の強化を図ることでグローバル化を推進させた人物です。こうした彼の技術志向は一財閥のみならず、プネ全体の企業風土も変えていき、いまやプネは自動車とエンジニアリングの拠点都市となりました。

他にもインドのMIT人脈は様々な分野で100年超の根を張っています。こうした長く深い米印人材交流の歴史を知ることで、90年代になぜインドでIT産業の急成長が起こったのか? そしていまのスタートアップブームがなぜインドで起きているのか? を知る本質的な流れが見えてくるように思います。

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