当たり前と言えば当たり前、しかしこの当たり前のきっかけを人は如何に感じ、感じたことが行動にどのようにしたらつながるのか? そのことを強く考えさせれられた出来事を、今回のブログではご紹介します。
きっかけは私が住んでいる街で再開発事業が計画されており、その説明会に参加し、住民の方のご意見を聴いていた際に感じたことです。
その再開発は、長きに渡り営業していたスーパーが移転した跡地に大規模なマンションを建設するというものです。今回の説明会は再開発区域を更地にすることに関する内容でしたが、比較的密集している住宅街に近接している場所に昭和40年代にスーパーを建設したため、解体時にアスベストの飛散や粉じん被害を危惧する多くの住民意見が出されました。また再開発後に大規模なマンション建設の計画があることから、日照権等、生活環境に関する懸念を抱く方々の意見が多数出ました。
再開発を企画・施工する側の立場は、住民の意見は十分聴くものの、環境や建築等々に関する法令順守を最低ラインとしながらも、後は再開発事業の採算に影響を及ぼさない範囲での対策を講じるものと思われます。
そのような現実を住民の方々は認識しながらも、自宅の隣りもしくは至近で再開発が始まると、その事業の内容は自分事となるため、自身の生活に及ぼすリスクを徹底的に回避するべく、行政や企画・施工主に対し強い口調で要望をぶつける行動を皆さん取っていらっしゃいました。すべて私事として・・・
一方でその場所とは別の場所でもっと大規模な再開発が計画された際には、近接する住宅が少なかったこともあったためか、私事の反対意見はそれほど多くはありませんでした。よって地域住民にとって、先般参加した再開発説明会ほどの関心はありませんでした。ではその再開発計画の説明会等では、どのような意見が多かったのか? それは、地域の住生活環境に及ぼすような、都市計画にも通じるような内容でした。そのため強い意見を出された方は市民活動家のような方が中心で、地元住民の多くの方は、再開発の内容を知るという目的で参加されているように見受けられました。つまり何らかの改善行動を起こすという意味において、再開発事業に対する当事者意識は低いといった印象を受けました。
人は自分にとって関心があることについて気にし、それが自分にとって利益をもたらす場合は積極的に行動し、不利益をもたらす場合はそれを阻止・回避する行動を取ります。これは当然と言えば当然です。
では、仕事に置き換えた場合はどうでしょうか?
仕事は、多くの方々の参加によって運営されています。
人には得手・不得手があるからこそ、多くの人たちの得手が、能動的かつ協調できれば、1×1=2以上のパワーになります。発揮できなければ1×1=0.5のように、人が集えば集うほど、そのパワーは減衰してしまいます。
その時に、個々人が自分の場所を得て、得た場所に当事者意識を持って事に当たることが出来たら、きっと1×1=2以上のパワーになると思っています。
ある方は「自分がその場に居ることを他人から認知されたとき、人はモチベーションが湧き、前向きな行動を取ることが出来る」とおっしゃっていましたが、そのような当事者意識を芽生えされるためには?
それが経営であり、プロジェクトにおいてはマネジメント力なのかもしれません。
さて再開発の説明会における住民の意見は、不満を要望としてぶつけている状態です。仕事においては不満ではなく、解決しなければならない真の課題を見極め、ある目的を達成するための前向きで能動的な行動を期待されますので、当事者意識の行動の表れ方は異なります。しかし「当事者意識」は、行動を起こすきっかけとなります。
このきっかけを如何に作り出せるのか、きっかけを作り出せたら、世の中は今までよりも少しは変化するのではないか?
そのようなことを考えされられた、先日の再開発の説明会でした。